2016年、北京中医薬大学が60歳になります。
44年前の1972年3月、19歳の私が北京中医学院に入学しました。
医者になる、特に中医になるとは夢にも思っていませんでしたが、1966年の文化大革命は10億人の人々の人生を変えました。 偶然が重なり、行き違いが生じ、父の命令で北京中医学院を選び、医の道に入りました。
北京中医学院は新中国が建国してから、1956年に中央政府の中医政策によって作られた大学です。 それから44年間で、大学は中国内23か所の中医薬大学の中でランキング1位を占め、国家重点大学となりました。
入学当時、同じ班には、新疆(しんきょう)・内モンゴル・陝西省(せんせいしょう)・山西省(さんせいしょう)・河北省(かほくしょう)から来ている14名の学生がいました。 中には年齢差が15歳あるひともいましたが、文化大革命によって中断した大学に入りたくても入れない状況から解放され、勉強したいという強い意欲はみんな同じでした。 学生にとって一番嫌な試験が次から次へとあり、永遠に終わらないように感じました。 夏休み前の寮はいつもガラガラで、夜遅くまで図書館の電気は星のようにきらきらと輝いていました。
講師の先生方は文化大革命によって浪費された時間を取り戻そうと、やる気満々で、中医学の知識を一所懸命、私たちに教えて下さいました。 その時の先生方は、今ではほとんど故人になられましたが、先生方の方言・笑顔を今でも鮮明に覚えています。
陰陽五行・五運六気・易経に最も詳しい任応秋先生の腹力のある四川方言の大きな声は今でも耳に響いています。
王玉川先生の小さな声で聞き取れない江南方言を聞いていると、いつも授業中に眠くなってしまい、先生に申し訳なかったと思っています。
王綿之先生の方剤学は、当時の私は本当にわけが分かりませんでした。 先生は、その後宇宙科学に関わり、作った方剤を宇宙飛行士が飲んで地球に戻った時、体調がとても良好だったということは、他の宇宙開発大国には目からうろこのような話でしょう。
ほっとした授業は、河北省出身の焦樹徳先生の純正の北方話でした。 北京中医学院の先生は全国から来ていますが、建校当初に四川省・江蘇省から多くの先生方を招集したので、方言が溢れるキャンパスになりました。
素晴らしい先生方からたくさんの知識を教えていただき、感謝の気持ちは一生忘れません。
当時、一番の楽しみは校園菜園でした。 今では狭くなったキャンパスですが、当時は空き地がいっぱいありました。 班ごとに菜園をもらい、野菜を作りました。 私は毎朝早く菜園へ行って、水をかけ、菜苗の成長を観察して楽しみました。
昔コンパクトだったキャンバスは今、和平里・東キャンバス・良郷キャンバスの3つになり、附属病院も東直門病院から3つになりました。 学校が広くなり、在校生も増えてきました。 中国だけではなく、海外にも進出し、素晴らしい発展を進んでいます。
私たちの育った母校は60歳になります、おめでとうございます。 ありがとうございます。 母校のこれからの発展に心から祈っております。