『本草綱目』の出版は、医薬学・植物学に巨大な貢献を果たしました。 はじめて本草学を水、火、土、金石、草、谷、菜、果、木、器、服、虫、鱗、介、鳥獣、獣、人に従って16部に分け、60種類を含みます。
本草名を説明し、【集解】によって産地・形態・栽培・採集を描述しました。 【修治】によって加工・炮製を教え、【気味】によって薬物の四気五味を紹介しています。 【主治】によって症状・病気などの応用を記してあります。 特に【発明】の項目に李時珍の薬物に対する観察、研究と実際の応用の新しい発見、新しい経験を記録し、方剤を付け加えて説明しています。 そこで多くの本草を補充して、訂正しました。 本の中で実用的に校正・釈名・集解・正誤・修治・気味・主治・発明・付録・付方・食用と治療を記述しています。 ほかに薬物の歴史、形態から効能、処方などを詳しく叙述しました。 これでいっそう本草学の知識を豊かにし、『本草綱目』は百科辞典となりました。
『本草綱目』が刊行してからの後世への影響、特に外国への影響は大きなものでした。
明の時代、外国との貿易によって、『本草綱目』は18世紀にフランス・イギリス・ロシア・ドイツなどの国々に伝わり、ヨーロッパの学者に大きな関心を引き、貴重な薬物・植物の文献として高い評価を獲得しました。 進化論を提唱したイギリスの自然科学者チャールズ・ロバート・ダーウィンは、鶏の変種・金魚の進化を研究・論証した時にも、『本草綱目』を参考し引用したという説もあります。 その論文は、イギリス王立博物館・ケンブリッジ大学・オックスフォード大学・ドイツ王立博物館・アメリカ国会図書館に保存されています。
西の国より早く、17世紀の江戸時代前期、1607年 長崎に行った林羅山(はやしらざん)は、李時珍の『本草綱目』を入手し、徳川家康に献呈しました。 『本草綱目』の出現は、日本の本草学に大きな影響を与えました。 入手が間に合わないため、手書き本・和刻本も出版され、その後日本語版に訳されました。 『本草綱目』の内容を活用し、多くの本草書が出版されました。
こうして李時珍は、中国を代表する世界的に有名な学者と評価されるようになりました。 古代の偉大な学者として記念するため、李時珍の墓地は、1954年 中国重点文物保護対象となり、1980年 50,000平方メートルの「李時珍記念館」が建てられました。 中薬の標本を展示している博物館、文献・書籍・古典の善本を展示している記念館、多くのメーカーの贈り物を展示している長廊、百草園と李時珍とその両親が眠っている墓の霊園の五大部分によって構成されています。 元中国科学院院長郭沫若(かくまつじゃ)、元中国最高権力者鄧小平の直筆題詞もありました。 李時珍と『本草綱目』は現在も世の中に大きな影響を与えています。
2010年3月9日、国連教育科学文化機関世界記憶工程のアジア・太平洋地域委員会がマカオで『本草綱目』を『世界記憶名録』に登録したことを公表しました。