昆布とあさりのごはん

痰を解消し咳を止める「化痰止咳」により、痰湿阻肺の咳嗽などの改善が期待できます

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米 2カップ
あさり 300g
昆布 4g
A : しょうゆ 大さじ1 紹興酒 大さじ2

【作り方】

  1. あさりは塩水で洗い、Aを煮立てた中に入れてさっと煮る。煮汁を分けておく。
  2. 昆布はキッチンバサミで細く切る。
  3. といだ米に1の煮汁、2を入れて水加減をし、ごはんを炊く。
    炊きあがりに1のあさりを加えて5分間蒸らす。

【効能】
あさり : 微寒鹹/胃脾腎/清熱化痰・止咳
昆布 : 寒鹹/肝胃腎/生痰軟堅

1人分 305 Kcal : たんぱく質 6.8 g/脂質 0.7 g/Ca 84.0 mg/Nacl 1.3 g

李時珍①―李時珍の時代

 我が校名の由来ともなっている『本草綱目』の著者・李時珍。 彼について、お話しましょう。

 李時珍、字は東壁(とうへき)、号は瀕湖(ひんこ)は、1518年 長江の岸辺の湖北省蘄春(きしゅん)県で 代々医者の家に生まれました。 1593年没、享年75才でした。

彼が生活していた明朝(1368~1644年)は、内政の安定に力を注いでいたので、中国歴史のなかでは政治が比較的安定し、人口調査を進め、経済が高度に発展した時期でした。

農民出身であった朱元璋(しゅげんしょう)は、農業特に米や麦などの穀物生産を極めて重視する政策を取りました。 明も歴代王朝と同じく塩の専売制を行い、手工業の活性期でもありました。 江南を中心とした地方では、絹織物・綿織物の生産が増加し、それに伴って農村でのかいこ・綿の生産も高まり、大きな市場を作っていました。

 商品の経済発展と資本主義の出現など 社会の発展によって、政府は隋・唐・宋時代から伝わってきた官吏選抜の科挙(かきょ)試験制度を完備させ、北は万里の長城から南は広東に至るまで全国で郷試(きょうし)を実施してました。 科挙による人材登録の機会を広げる政策は文化の全国化をもたらす意味も有していました。 南京と北京で国子監(こくしかん)をはじめ、州・県に至るまで全国に国立学校を設立する政策、教育を充実し学術復興は促進されました。

 宋の時代に出現した儒教の新学派である理学が明代に入ると さらに発展し、朱子学は国定学問としての地位を保持していました。

『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』はこの時期に完成したとされています。

鄭和(ていわ)を7回も南海大航海に派遣して、南海諸国との貿易を始めました。

 1488~1505年の銅活字は すでに江蘇一帯に流行し、1573~1620年には多色刷りが現れました。 明の出版業の繁栄のため、各種書籍・医学書の出版と医学知識の普及に便利な条件を作り上げました。 これらの進歩が李時珍の著書に良い条件を与えました。

早稲田大学との共同研究が始まります

 薬膳学は中医学と同じく、いつもエビデンスを求められています。 私がこの学問の裏付けの根拠を解明すればよいという夢を常に見ています。

 最近、長く体温研究に関わっており、体温の維持が健康や体調の維持に重要であることを実験的に明らかにしてきた早稲田大学・人間科学学術院・環境生理学の永島計教授は、温度は中医学において重要な位置付けがなされていることを重視し、中医学体質や疾病には陽証・陰証、熱証・寒証の言葉をよく使い、これらの考えは温度にかかわる概念ではないかと考案しています。 また、健康維持、体質改善、疾病の治療目的とした薬膳も重視しています。 薬膳に用いる食薬には、寒性・涼性、平性、温性・熱性の五性があります。 それぞれの体を「温める」、「冷やす」という概念、体の温度を操作する考えは西洋医学にない新しい考え方で、自然科学的観点から見た根拠は明らかではない部分が多いです。 そのため、中医薬膳学と体温の研究探索を研究目標と設定し、中医学的温度概念の解明のための研究組織化及び、研究方法の開発、研究期間内での大型資金への応募、新しい学術領域の創出をゴールとする共同研究と基金を申請し、許可されました。

 本草薬膳学院が、私が、このメンバーの一人に選ばれたことを嬉しく思います。 薬膳を日本で普及する仲間にも朗報となると思います。 中医学も薬膳学も長い歴史があり、昔の学問ですが、何千年もの医療現場の経験、日常の食経験によって21世紀まで伝わってきて、健康寿命を延ばす現代にも役に立つ学問で、その理論根拠を解明できるならなにより嬉しいことです。 自分の夢に近づいてきたと思います。