同級生

 2015年、北京中医薬大学卒業40周年になったため、中国にいる同級生らが集まりました。 その後友人らから会いたいとの連絡を受け、年末に北京に帰りました。

 文化大革命の最中、一時的に中断した大学教育は再開しました。
その時に毛沢東主席の「実践経験のある労働者、農民、解放軍の中から優秀な人材を選び、大学で数年学習させて現場に戻す」という教育革命の方針に従って、1970年から大学教育が再開しました。 それまでの高校生から大学に入る学生と違い、全国から政治思想が 健康が良くて、3年以上の経験がある、20歳前後の青年を選抜し、審査してから大学に入学させました。

 私のクラスには、新疆ウイグル・内モンゴル・陝西省・河北省と軍隊からの19歳から26歳の14名の学生がおり、赤足医師・看護婦・衛生兵などの経験者と下放(国民を地方に送り出す政策のこと)された優秀な知識青年ばかりでした。 年齢、経歴、経験の差異によって、物事に対する考え、対応は全く違うけれど、動乱の時代で学習ができると、みんなこのチャンスを大切にし、一生懸命に勉強しました。 卒業後は教育方針の通り、北京に残る人が少なく、ほとんどが地元に帰って医師となりました。 時々同級生たちが医療の前線で活躍していることを耳にしていました。

 あっという間に40年が過ぎました。 同窓会が開かれ、北京にある同じクラスとほかのクラスの同級生と会いました。 彼らはもう立派な教授・主任医師になり、そのうちの何人かは国が公表した全国の名医です。 年を取って太く、白髪になった私たちは、互いに大学での楽しかったことと悔しかったこと、知っていたことと初めて聞いたことがどんどん湧いてきて、会う時間が熱くにぎやかに流れていき、みんな若帰り、日常のストレスを忘れ、脳の活性化も促進されました。

 人生の中で、短い大学時代は私たちの青春の記録、その時に育った同級生の友情は、歳月を経て、親友のような感情に変わりました。

 

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母校・北京中医薬大学が60歳に★

 2016年、北京中医薬大学が60歳になります。

 44年前の1972年3月、19歳の私が北京中医学院に入学しました。
 医者になる、特に中医になるとは夢にも思っていませんでしたが、1966年の文化大革命は10億人の人々の人生を変えました。 偶然が重なり、行き違いが生じ、父の命令で北京中医学院を選び、医の道に入りました。

  北京中医学院は新中国が建国してから、1956年に中央政府の中医政策によって作られた大学です。 それから44年間で、大学は中国内23か所の中医薬大学の中でランキング1位を占め、国家重点大学となりました。

 入学当時、同じ班には、新疆(しんきょう)・内モンゴル・陝西省(せんせいしょう)・山西省(さんせいしょう)・河北省(かほくしょう)から来ている14名の学生がいました。 中には年齢差が15歳あるひともいましたが、文化大革命によって中断した大学に入りたくても入れない状況から解放され、勉強したいという強い意欲はみんな同じでした。 学生にとって一番嫌な試験が次から次へとあり、永遠に終わらないように感じました。 夏休み前の寮はいつもガラガラで、夜遅くまで図書館の電気は星のようにきらきらと輝いていました。

 講師の先生方は文化大革命によって浪費された時間を取り戻そうと、やる気満々で、中医学の知識を一所懸命、私たちに教えて下さいました。 その時の先生方は、今ではほとんど故人になられましたが、先生方の方言・笑顔を今でも鮮明に覚えています。

 陰陽五行・五運六気・易経に最も詳しい任応秋先生の腹力のある四川方言の大きな声は今でも耳に響いています。

 王玉川先生の小さな声で聞き取れない江南方言を聞いていると、いつも授業中に眠くなってしまい、先生に申し訳なかったと思っています。

 王綿之先生の方剤学は、当時の私は本当にわけが分かりませんでした。 先生は、その後宇宙科学に関わり、作った方剤を宇宙飛行士が飲んで地球に戻った時、体調がとても良好だったということは、他の宇宙開発大国には目からうろこのような話でしょう。

 ほっとした授業は、河北省出身の焦樹徳先生の純正の北方話でした。 北京中医学院の先生は全国から来ていますが、建校当初に四川省・江蘇省から多くの先生方を招集したので、方言が溢れるキャンパスになりました。

 素晴らしい先生方からたくさんの知識を教えていただき、感謝の気持ちは一生忘れません。

  当時、一番の楽しみは校園菜園でした。 今では狭くなったキャンパスですが、当時は空き地がいっぱいありました。 班ごとに菜園をもらい、野菜を作りました。 私は毎朝早く菜園へ行って、水をかけ、菜苗の成長を観察して楽しみました。

 昔コンパクトだったキャンバスは今、和平里・東キャンバス・良郷キャンバスの3つになり、附属病院も東直門病院から3つになりました。 学校が広くなり、在校生も増えてきました。 中国だけではなく、海外にも進出し、素晴らしい発展を進んでいます。

 私たちの育った母校は60歳になります、おめでとうございます。 ありがとうございます。 母校のこれからの発展に心から祈っております。

 

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薬膳を学ぶ

 薬膳を学ぼうと思った時に、食事と関わる学習なので簡単だと思ったら、いざ学び始めるとこんなにも難しいのかとびっくりしましたという感想をよく耳にします。

 そうですね、薬膳の勉強は、見た目は簡単ですが、実際は学問としては奥の深い世界です。 私たちがこれまでに受けてきた現代教育では、身体に対する認識は西洋医学の解剖・生理機能が中心、食生活の知識は栄養学の栄養素の計算が中心となっていて、頭の中にこのような知識が充満し、定着しています。

 しかし、薬膳は中医学に属し、私たちにとって未知の世界の知識です。 大昔の宇宙・自然に対する認識は、隠さない、汚染のない透明的、直観的な観察で、物事の一番本質に近い考え方となっています。 身体に対する認識も解剖より機能性が中心となっています。

 最も面白い考え方は、「脳」についての認識です。 現代医学は記憶力・思考力は「脳の働き」と捉えていますが、中医学はこれらの働きは「心」と関わっていると捉えています。 「脳」と「心」との異なる見解はいつも中医学と西洋医学の論争を起こしています。 器官移植の技術が素晴らしく発展している今の時代、心臓移植により提供体のある個性が移植される側に移ったという報告もあり、心が記憶力をもつという考え方も提示されています。 日常生活で、私たちは「心当たりがありますか」「御心配をかけました」などの言葉をよく口にします。 誰も「脳当たりがありますか」「御脳配をかけました」とは言わないですよね。

 中医学の世界は広くて奥が深いので、これから学習を始める方は、まず、新しい知識を邪魔する現代医学・栄養学の知識を忘れ、素直に薬膳の知識を受け入れましょう。 すぐには理解しなくても大丈夫、この道を歩んでいるうちに実践・経験から中医学の理論が分かってきます。 理解してから、中医学と西洋医学の知識を合わせて自分に・家族に・親友に・世の中に一番良い食生活を提案できるように頑張ってください。

 勉強する方法として、学習・復習・まとめるという繰り返す方法を提案します。 古人いわく「温故知新」「旧書不厭百回読、熟読深思子自知」。 教科書を繰り返して何回に読むうちに理解し覚えていきます。

 薬膳の道を選んだ皆さん、この道は細く長いですが、前途は明るいので、私と一緒に頑張っていきましょう。

 

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