日本で薬膳を普及する仲間~国際薬膳師試験有感~

 去る4月9日と10日、東京駅の向う側にある会議室はにぎやかになりました。 今年度の「国際薬膳師(士)・国際薬膳調理師資格認定試験」が行われたからです。 北海道から鹿児島まで、全国からたくさんの受験者が集まり、この試験に臨みました。中国薬膳研究会に任命された試験官の4人が試験を監督し、2日間の試験は無事に終了しました。★DSCF7517

会場で、このような難しい学問を1~2年間、またはそれ以上の時間をかけて学習し、さらにこんなに難しい試験に参加している受験生の皆さまの真面目な顔を見て、感心し、自分の学生時代を思い出しました。

 母校である北京中医薬大学はその時はまだ「北京中医学院」でした。 仙人みたいな方言を話す名高い先生方が教壇に立ち、授業の内容をなかなか聞き取れない、中医学の世界が、突然目の前に広がってきました。 そんな古くて、難しくて、理解ができない学問は自分に向いてないとずっと悩んでいました。 しかし、中医学教育に執念を抱く先生方が教室でも病院でも熱心に教えてくださった結果、私は中医薬学をどんどん好きになりました。 自分自身このようなつらい経験がありましたので、文化の違う日本では、このように多くの方々が中医学を選び、薬膳学を学んでいることに感服しています。★DSCF7555

 中医薬膳学の教育を始めてから14年が経ちました。 中医薬膳師を育成し、国際薬膳師(士)・国際薬膳調理師の資格認定試験を行い、日本で中医薬膳学を普及する仲間が年々増えてきています。 高齢社会の日本では、これから治療より予防を重視することにシフトしていき、健康において薬より食事が最も重要だと世の中に認識され、中医薬膳学が求められる時代がくると信じています。

 受験生の皆さま、薬膳仲間、より高水準の中医学・薬膳学の専門家になり、一緒に中医薬膳学の普及に頑張りましょう。★★FullSizeRender

 

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東京の真ん中にある東京教室

 ★DSCF7139東京の日本橋は江戸の中心、いわゆる日本の中心である日本橋川に架かった橋です。 つい最近、橋の下に流れている川は、隅田川ではなく日本橋川(隅田川の支流)だと知りました。 恥ずかしいですね。 江戸時代から今まで商業や文化の中心地として繁栄しつつ、伝統の老舗とオシャレな流行のお店が交わり共存している町になっています。

 2012年11月に学校はこの町に引っ越して来ました。 東京駅から八重洲通り沿いに真っすぐ歩くと学校に到着します(左に回る)。 交通は神田より便利になりました。 地方から通う学生は乗り換えがなくて喜んでいます。 東京と関東の学生も地下鉄・都営・JRなど多くの交通機関を利用できるので嬉しいようです。

 教室はビルの2階にあり、出入りが便利。 神田の9階教室にいる時には地震をよく感じましたが、今はそれがなくなり、まず一安心しました。 教室は前より広くなり、使いやすくなりました。

★DSCF7178 去る3月に東京校に通う学生と通信生の春の卒業式を行いました。 今年は各教室を合わせて通学生と通信生78名(福岡と大阪教室の卒業式は別々に終了しました)を送り出しました。

 人数が多くて、今まで頼んでいた美味しい中華料理店には入りきらないので、東京駅に真ん前の貸し会議室を借りました。 立食パーティーの会場でした。

 陽気で明るい卒業生の皆さんが語ったことは、薬膳を勉強するほどその奥深さを感じ、社会人になって以来、何十年ぶりかの宿題に悪戦苦闘しながらも、学生に戻った気分で、本当に充実した1年だということでした。 多くの卒業生は専門家になるために研究科への進学を考えています。

 中医薬膳学はこれからさらに健康に関わる学問となりますので、この分野で卒業生の皆さまが輝くことを大きく期待しています。★DSCF7127

 

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わが師

 人生の道は長いです。 その一生では、多くの師に出会うことになります。

 最初の師は自分の親です。 両親は誠実・正直・勤勉・寛容などの人柄を教えてくれた、最初の師になりました。 小学校・中学校・高校・大学卒業と、多くの師と出会いました。 彼らは「好好学習、天天向上」の学習好・身体好・労働好・道徳品質好などの知識・知恵・基準を教えてくださいました。 社会に出て、職場で先輩方と知り合い、いろいろな仕事の技・人との付き合い方を教わりました。 結婚して、子供が生まれることによって、家族が人生の最も基本な関係である夫婦関係・親子関係の師になります。

 古人いわく、「三人行、必有我師」(意味:「3人一緒になると、必ず私の師がいる」)ということはこの道理です。 人生では多くの人とめぐり合いますが、その中で覚えている師は何人いますか?

 去る3月の末に、人形町の日本料理店で、私たち4人は恩師である酒井シヅ氏と一緒に食事をしました。★酒井先生2

 順天堂大学の酒井シヅ特任教授は医史学者で、『医学の歴史』『病が語る日本史』『戦国武将の死亡診断書』『まるわかり 江戸の医学』『老人必用養草 老いを楽しむ江戸の知恵』 『疫病の時代』など多くの著作を出版されて、医学と歴史の関わる時代ドラマの監修として超有名な先生です。 私たち4人を教えてくださった博士です。★酒井先生3

 男性の陶さんは先生の1人目の学生です。 郭さんは約23年前に入学し、その時の酒井先生は今の郭さんの年齢と同じくらい若かったです。 郭さんは日中両国の医学歴史のなかで有名な学者になっています。 この中で一番若い人は魯さんで、今は薬局の研究所所長で漢方相談を行っています。 私の時に、酒井先生が退官されました。 公衆衛生教室の教授をご紹介いただき、医学博士を取得しました。 しかし、入学から修了まで酒井先生に大変お世話になり、論文のご相談とご指導、図書館・博物館を紹介していただいて一緒に訪ねるなど、先生が教えて下さなかったら、私は「医学博士」の夢を実現できませんでした。 心の中で自分は酒井先生の最後の弟子だといつも思っています。

 孔子いわく「誨人不倦」、酒井先生は教育の分野で、医史学教育事業のために献身的に尽力し、「桃李満天下」のように多く弟子が日本、中国、世界各地で活躍しています。 先生から教わった知識・精神・心は私の力になります。 師は私の鏡です。

 

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