古家にある大阪教室

 2階建ての古家を借りて、大阪教室が2015年の春に開校しました。

 江戸時代から大都市となり、日本経済の中心だった大阪は、昔から中医学も盛んでした。 交通の便が良く、周囲の県から仕事・買い物・社交活動などのために人々が集まりやすいところです。 以前からずっと、本草薬膳学院の大阪教室を作ろうと考えていました。

 学生の中に、もう何年間も熱心に東京校に通って研究科で学習している 渡辺真里子様がおります。 国際中医師まで取得し、大阪で中医学と薬膳学の分野において大活躍しています。 大阪教室について相談したところ、私と同じ気持ちで、講師依頼を快諾してくれました。 いろいろな準備を重ね、開校を迎えました。

 毎月の授業が東京校と同じ内容で順調に進みました。 年齢と職業の違いはありますが、みんな熱心でまじめでした。 実習場所は少し狭くて不便だったのですが、メンバー全員が仲良しで、笑い声の絶えない教室でした。R0038332

 

 卒業式の時に、一人ひとりに学習の心得、これからのやりたいことを聞きました。 「薬膳の専門家になるために研究科へ進みたい」、「親族・友達によい薬膳アドバイスができるようになりたい」「自分の教室で薬膳メニューを出したい」「みなさんに薬膳の知識を伝えたい」「仕事に役立てたい」など。

 皆さんの話を聞いた私の方がすごく嬉しくなり、人生の楽しさは、この薬膳に、この薬膳仲間にあることを感じました。R0038318

 

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春と温病②

Q : 温病はどのような内容ですか?
A :
主に春から冬までの春・夏・秋に発生する熱の病気です。

温病学

 

 温病の中には、冬に邪気が侵入したけれど、即時には発病せず、体に潜伏して翌年に発病するケースもあります。 中医学の専門的な病名になると風温・温熱・温疫・温毒・春温・暑温・伏暑・湿温・秋燥・温瘧・伏気温などがあります。

春になってくると発熱・微悪風寒・頭痛・無汗あるいは有汗・咽の発赤腫脹と疼痛・目の痒み・軽度の口渇・咳・発疹、舌尖・舌辺が紅い・脈が浮数などの症状が現れます。 このような症状は温病の衛分証の段階と考えられます。

この病証にインフルエンザ・風疹・花粉症・扁桃腺炎・おたふく風邪など西洋医学の病気が含まれています。 どのような病気でも上述の衛分証の症状が現れると同じ対応を行います。

 

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衛分証への対応

【食薬】

辛涼解表類 : 薄荷、牛蒡子、桑葉、菊花、葛根、淡豆豉、蝉退、浮萍 

【方剤】

桑菊飲 : 桑葉、菊花、連翹、薄荷、桔梗、芦根、甘草、杏仁 

銀翹散 : 金銀花、豆豉、連翹、薄荷、桔梗、芦根、甘草、竹葉、荊芥穂、牛蒡子

清絡飲 : 新鮮荷葉辺、新鮮金銀花、糸瓜絡、西瓜皮、新鮮扁豆花、新鮮竹葉心

 

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おすすめ薬膳茶

  1. 薄荷甘草菊花茶
    薄荷 1g
    菊花 3g
    甘草 2g
    湯 300ml

    急須を温めてから材料を入れて湯を注ぎ、3~5分蒸らしてから飲みます。

    熱・咽の発赤腫脹と疼痛・目の痒み・軽度の口渇におすすめ。

  2. 菊花枸杞子茶
    菊花 3g
    枸杞子 5g
    湯 300ml

    急須を温めてから材料を入れて湯を注ぎ、3~5分蒸らしてから飲みます。

    発熱・目の痒み・軽度の口渇・発疹におすすめ。

  3. 桑葉紫蘇茶
    桑葉 3g
    紫蘇 3g
    甘草 2g
    湯 300ml

    急須を温めてから材料を入れて湯を注ぎ、5~10分蒸らしてから飲みます。

    発熱・微悪風寒・頭痛・無汗か有汗・咽の発赤腫脹と疼痛・目の痒み・口渇・咳・発疹におすすめ。

 

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春と温病①

 2月4日の立春以降、20℃を超える暑い日と10℃以下の寒い日が繰り返していますね。 春の東風と冬の寒気が混じり合った気候が来たり行ったり。 気温の上昇、雨が降り、植物が伸びやかに成長し、緑が現れ、花が続々咲くことで、花粉が舞って体に影響します。 このような天気の変化、不安定さにより病気を引き起こしやすくなります。 こういう場合、中医薬膳学では温病(うんびょう)の考えを用います。

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温病(うんびょう)って、何ですか?

 中国最古の医学古典書である『黄帝内経』(紀元前)に温病についての記録がありました。 漢の時代(紀元前246年~紀元220年)の『傷寒雑病論』にも温病の症状と治療する方剤が載っていましたが、1つの学問として理論も応用も発展していませんでした。

 明の時代(1368年~1644年)の晩期に温熱病が流行り、1408年~1645年の間に大きな瘟疫が19回発生したこと、死者が数え切れないほど多かったこと、1587年京城患者数は109,590人だったとの記録が『明史』に記載されています。

『崇禎実録』には、華北三省でペスト死亡数が1,000万人以上と記録されています。

 江南の医師である呉有性(字・又可)(1587~1657)は、これを温疫と考え、中国でもっとも古い伝染病の専門書『温疫論』を著しました。 この本に腸チフス、マラリア、天然痘、コレラ、おたふく風邪、ハンセン病、黄疸などの伝染病についての臨床治療経験を書き、病気の過程における舌象の変化を重視し、達原飲、三消飲、清燥養陰湯、増液湯などの方剤を創出、食材では梨汁、サトウキビ汁、蓮根汁、西瓜汁を勧めました。

呉有性

 清時代(1644年~1910年)の中期、葉天士が舌・歯を観察し、斑疹を弁明、温熱病を衛分・気分・営分・血分の4つの段階に分け、衛気営血の弁証論治理論体系を創立しました。 その理論を弟子達が『温熱論』にまとめました。

葉天士

同時期の薛雪が湿病の病因・病機・病症・治療方法を論じ、温病学説を充実させました。

薛雪

その後、呉鞠通が葉天士の医案を研究し、自分の心得を合わせ、温熱病の治療を整理し、『温病条辨』を書きました。 彼が温熱病の伝変を上焦・中焦・下焦の三段階に分け、三焦弁証を創立。 治療において清絡・清営・育陰の大法、桑菊飲・銀翹散などの有名な方剤も作り出しました。

呉鞠通

 王孟英が温病の医学家の学説をまとめ、『温熱経緯』を書き、温熱病の普及とまとめに貢献しました。 温熱病の研究は成熟時期に入ったのです。

王孟英