「世界中医薬の日」が決まりました


去る11月17日にローマで第15回世界中医薬大会が開かれました。今回の大会は世界中医薬学会聯合会(世界中連)が主催し、共催はイタリア中華医薬学会・イタリア国家鍼灸学会です。

昨年、バンコクで開催された第14回の大会後、世界中連と国際標準化の一環として《中医基本名詞術語中日対照国際標準》の辞書を作成するにあたり、委託契約をしました。

半年をかけ、多くの専門家の先生方のご協力によって翻訳は完成し、今回の大会の常務理事会に報告し、審議してもらうことが決まっていたので、翻訳の過程を報告する資料を整理して、パワーポイントを作りました。大会に出席するため会費を振込み、チケットとホテルの費用を支払い、事務的な手続きを全部完了して、ローマへ出発する準備をしました。


しかし、9月の末に左足首を骨折してしまい、一か月半後の出席は無理だと整形外科の先生に言われてしまいました。どうしよう と困りましたが、まじめに病院に通い、リハビリを頑張り、豚足・スペアリブ・魚など薬膳料理を食べ、骨折は順調に回復しました。ところが大会の2週間前に、世界中連から「辞典の報告は中止になりました」という連絡が入りました。ネットで調べたところ、会場も変わったことが分かり、行くのをやめようかと心が揺れました。でも、気持ちはもうローマへ飛んでいるし、それぞれに支払った費用も完全に戻らないので、迷わず行くことにしました。

約1000人の参加者がローマの会場に集まりました。

開幕式の司会は世界中連の副主席兼秘書長の桑濱生氏とイタリア国家鍼灸学会会長です。国連糧食・農業組織の総幹事の先生が祝辞の中で中医薬は農業と食糧が発展することと関連している科学であり、国際協力の大前提が必要であると述べました。世界中連・イタリアの中医薬学会の先生方や中国国家中医薬管理局の政府関係の先生が続いてそれぞれ祝辞を述べました。


主会場と分会会場に中医薬基礎理論や臨床実践、鍼灸推拿の研究と実践、中西医結合研究、中医手法や流派、中薬研究、道地薬材や絶滅危惧種の動物・植物と薬材の保護、中医薬における各国での発展及び法律に関わる動き、中医薬国際標準化・情報化研究、中医薬サービスと貿易などのテーマがあり、各団体の代表は幅広く学術的な交流を行いました。

各会場を覗きながら、今回の主な目的である理事会の会場に着きました。会議期間中、理事会・常務理事会・監事会の会議に出席しました。今回の主題は「ローマ宣言」の審議です。

昨年のタイ大会後、アメリカ・イタリア・中国・フランス・オーストラリア・カナダ・スペイン・イギリスの13名が発起人として「ローマ宣言」の草案を世界中連に提出しました。討論と訂正を繰り返して、今回の理事会にディスカッションペーパーを出し、議論することになりました。このような重要なことに参加するのだと誇りが湧いてきました。「辞典の報告は中止する」という通達に対する不満も消えました。

1時間以上の討論で各国の副主席・執行委員・常務理事は意見を十分に交し、最後に全員一致で「ローマ宣言」が通過しました。また毎年の10月11日は「世界中医薬の日」と決まり、閉幕式の際に発表しました。これにより世界各国にいる中医薬の専門家は自分たちの“祭日”が確立されました。

10月11日は1958年に中国の故毛沢東主席が “中国医薬学是一個偉大的宝庫、應当努力発掘、加以提高(中国医薬学は偉大な宝庫であり、努力して掘り下げ、レベルアップしていかなければならない)、”という講話を発表し、当時、衛生部が作成した中医薬を差別し軽視した政策や各規定を抑えてそれを改正した日です。中医薬の事業が現在獲得した輝かしい業績は毛沢東主席のこの励ましの言葉からは離れられないという理事会全員の共同認識でしたで、この日になりました。

今回の世界中医薬大会参加してよかったと思いました。

日本国際薬膳師会設立15周年を迎えて

14年の年月は水が流れのように止まることなく刻々と過ぎ去っていきました。14年前のことを思い、さまざまなことが湧き出てきました。

2004年、三井記念病院の脇にある本草薬膳学院の小さい教室に、鷲見美智子先生、海老原英子先生、故勝本海咏先生と私の4人が集まりました。そして日本でどのように薬膳を普及するかという話で盛り上がりました。その時はちょうど本草薬膳学院第一期卒業生が参加した国際薬膳師の資格認定試験が終わったところで、日本で薬膳の専門家団体を作る話がまとまり、それをしっかり発展させるためにいろいろな意見を交わしました。その後、堀実佐子先生、故上野多恵子先生と相談し、この年の11月23日に学士会館で「日本国際薬膳師会」の設立大会を発足し、会員46名でスタートしました。

「光陰矢の如し、歳月人を待たず」気付かないうちに時間が経ち、あっという間に日本国際薬膳師会設立15周年に臨む時が来ました。

15周年記念行事は今年の11月24日に学士会館で行うという計画を昨年から立て始め、日本国際薬膳師会の最高顧問であり、中国薬膳研究会の副会長 高思華先生(元北京中医薬大学学長)を会の行事に初めてお招きして特別講演を企画し、「記念誌」と「レシピ集」の発行も決まりました。会場となる学士会館に予約を入れ、予算も決めていきました。

まず編集チームは先に動き出しました。記念誌の論文・エッセイの募集、レシピ集のテーマを絞り、会員に向けて募集をかけました。日本国際薬膳師会の役員たちは一年かけて準備して完成させた記念誌『人生100年 今こそ薬膳養生』と『臓腑弁証の薬膳(10の証)』のレシピ集を参加者の皆様に届けました。きれいなデザインと豊富な内容を見て感動しました。会の編集チームの皆様、事務局、総務の皆様、大変お疲れさまでした。

また15周年記念行事の直前、ローマで開催される第15回世界中医薬大会に出席せざるを得ず、いろいろな準備の最中に抜けてしまったことには、心の底から罪悪感が湧いていました。幸いなことに実行委員会の役員と理事、会員の方々はよく協力しあい、準備はスムーズに進んでいました。

20日にローマから戻りました。溜まっている学校の仕事を済ませ、11月22日に空港で高思華先生をお迎えしました。23日には会の副会長の鷲見美智子先生・海老原英子先生・大村和子先生・市川兼次郎先生と一緒に東京タワー付近の 豆腐屋うかい で歓迎会を開きました。きれいなお庭を見ながら、品のある美味しくて健康的な料理を食べて最高の気分になりました。翌日はいよいよ15周年記念大会です。

24日の10時に学士会館に着きました、副会長の先生方、事業部・総務部の皆様はもう準備に入っていました。すべては順調に進んでいます。

15周年の記念式典は設立当初から会に協力し、支援してくださった先生方に感謝状を捧げ、会を永年支えてくださった会員を表彰しました。

高思華先生は、薬膳の歴史から臨床応用についてや肝脾腎の治療から糖尿病を改善する薬膳の養生について特別講演を行いました。東北大学 CYRIC サイクロトロン核医学研究部研究教授の関隆志先生の講演はギリシャ・イタリア・インドなど各国の古典飲食文化思想と中医薬膳学を比較し、地中海の飲食療法やアメリカの飲食変化について講演してくださいました。お二人の先生のお話は参加者の皆様から大変ご好評をいただきました。また、高先生は中国薬膳界で最高権威を持つ中国薬膳研究会を紹介し、中国の薬膳事情を説明しました。これからも国際薬膳師の会員の皆様にはさらに胸を張って力を振い、今後ますますの活躍を期待しますとの励ましのお言葉もいただきました。

晩餐会は交流部によって進めていきました。鷲見先生と海老原先生は、会を発足した当時の思いを皆さんにお話しました。当時、先生方は定年になったばかり、私は40代でした。先生方と知り合ってからこの20年間「相識」「相知」「相行」の精神で、会の発展や拡大、日本での薬膳の普及活動を一緒に頑張ってきたことは自分にとって宝であると同時に私を育てていただいたと思っています。心から先生方に感謝いたします。

また会の多くの役員、会員の皆様には、会のためにまた中医薬膳学普及のために貢献されるボランティア精神に深く感謝しております。

このような多くの先生方、会員の皆様に囲まれた私は本当に幸せです。

これからも私たちは力を合わせて、更なる成果を結ぶよう、頑張っていきましょう。

虫料理に挑戦!その2

今回の世界中医薬学会聯合会(世界中聯)臨沂大会ではサソリ、蚕の蛹(さなぎ)、白セミ、黄セミなどの珍しい虫料理も提供されていました。山東省は食用のサソリを養殖していると前から聞いていましたが、まさかこのような国際会議に出てくるとは思っていませんでした。そういえば、会場へ移動する車の中から、道路の脇にあった「セミ収集」という看板が目に入りましたが、それが食卓に現れるとは想像していませんでした。

食べるか食べないか?二日間迷いました。中薬の授業で全蠍・蟬退・蚕沙を学生に教えているので、味わって体験した話は分かりやすいのではないかと思って、サソリ、セミの揚げ物、蚕の蛹を食べました。結果は思ったより食べやすかったです。

尚、山東省の一番の名物はというと、煎餅です。今回は煎餅の食べ方を習いました。煎餅にニンニクの芽、長ネギ、キュウリ、ゴマ塩、甘味醤を入れて巻いてから食べます。硬くて食べにくいので、丈夫な歯と顎が必要です。

また、「糁」魯南方言で「sa」と呼ぶ地方料理があります。主原料は鶏肉(または牛肉や羊肉)と大麦、小麦粉、ネギ、生姜で塩、醤油、粉胡椒、五香粉、香油、酢などの調味料を加えた素朴なスープのような料理で、油条と一緒に食べます。