遠野健康塾

9月13日~15日の三日間、岩手県南東部に位置する遠野市の「悟道(ごどう)の里山」で、東北大学の関隆志教授が主催する「遠野健康塾」を開きました。今回は沖ヨガ、推拿、古武術、操体、薬膳、声楽、そして能の分野で、超一流の講師をお招きし、多くの方々に体験、体感していただきたいというのが関先生の計画でした。

私は三日間の薬膳料理と薬膳講義の担当です。仙台に住む卒業生の横須賀真奈美さんと大坪律子さんが加わり、チームを結成しました。更に元調理専門学校の講師で今年、独立した花澤文乃さんも今回のアシスタントとして薬膳チームに参加し、行事を全般的に把握しながら私たちと一緒に30~35名人数分の薬膳料理を担当しました。

このような仕事は初めて受けたので、いろいろな準備があると思い、12日に東京から新幹線に乗って遠野市へ向かいました。その日の気温は東京が30度、目的地に降りた時は17度で、ずいぶん寒く感じました。幸いなことに薄いダウンコートを用意していたので助かりました。夕方には4人が揃い、三日間の食材、食器、調理器具を整理し、準備が完了しました。

薬膳料理のテーマについては、一日目は「疏肝理気」、二日目は「補気養血」、三日目は「調和脾胃」にしました。

翌日、健康塾が始まりました。参加者は15名、スタッフは15名から17名で、毎回計30名ぐらいの方々に4品づつの薬膳料理を作ってお出しします。しかし、調理器具は家庭用のフライパンしかありませんので、料理1品につき5回以上同じように作らないといけません。

毎朝5時半ごろに起きて、夜の10時ぐらいまで厨房に立ち、食事の材料を下準備し、作り、盛り付けしてお出しします。そして食事が終わってからは片付け、食器や調理器具を洗い、拭くなど全部の作業を私たち4人でこなしました。また食器の数が足りず、参加者とスタッフは別々に食事を摂ることになったため、同じ作業を2回繰り返さないといけません。それでもみんな元気に楽しく行いました。特に2日目からは調理師専門学校の3名の学生が応援に来てくれて、野菜を切る、洗う、運ぶなどの仕事をやってもらい、すごく助かりました。

忙しくて三日間はあっという間に過ぎました。身体はとても疲れましたが参加者とスタッフたちからの「美味しかった!」という声を聞くと、嬉しくなり、疲れも消えてしまいます。残念なことに沖ヨガ、推拿、古武術、操体など、せっかくのいろいろな催しには、薬膳料理の仕事に忙しくて、私たちは何も参加できませんでした。

また、会場になった「悟道の里山」の曲り家(伝統的家屋の建築様式のひとつ)が、日本の古い屋敷に泊まる初めての体験となりました。遠野市で古くから伝わってきた自然そのままにふれ、一時を過ごしました。

疏肝理気

 

 

 

 

 

 

 

補気養血

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調和脾胃

第一回「華佗杯」薬膳大賽

「人傑地霊(じんけつちれい)」の亳州は、今年はにぎやかです。

9月8~10日の「第一回世界中医薬亳州論壇」が終わってからすぐ、11~12日に「華佗杯全国薬膳大賽」がありました。私にとっては丁度都合がよく、引き続き参加しました。薬都で薬膳大賽を行うことは「得天独厚」(人の素質や土地の自然がとりわけ恵まれている)の条件を備えています。市政府から大賽のお知らせが公表され、ホテルやレストランに参加を募りました。

 

 

今回の大会の主題は「弘揚華佗養生、促進全民健康」と決まり、華佗先生の養生を更に発展させて輝かしいものにするために、薬膳製作者は互いに切磋琢磨して学習し、薬膳のレベルを高め、国民の健康に貢献すると提唱しました。

中国全土から15の省、32の団体が集い、参加選手は全部で362名となりました。

開幕式では、中国薬膳研究会の楊鋭会長が「全国薬膳之都」の称号を亳州に授与しました。

 

11日の夜22時から団体製作が始まりました。12日の朝から個人戦の選手が厨房に入り、製作が始まりました。大賽以外に、学術報告、学術討論なども行いました。

殊に嬉しかったことは、今回の出席者の中で天津中医薬大学の史教授、南開大学・天士力集団の薬膳同仁(同志)と知り合ったこと、そして北京中医薬大学の先生と天津から来た薬膳大師との再会したことです。

 

第一回世界中医薬亳州論壇

 

世界中医薬学会連合会(世界中連)が主催する「一帯一路中医薬面臨の機遇与挑戦」「第一回世界中医薬亳州論壇」が安徽省の亳州で開催され、その出席要請に応じて9月8日から中国に入りました。

飛行機で羽田から2時間半程で上海に到着しました。上海虹橋国際空港から虹橋火車駅へ移動し、窓口で予約したチケットを受け取って高鉄に乗り宿州東駅へ向かいました。久しぶりに中国高鉄に乗り、無料で配布されるお水とお菓子を楽しみながら車窓の江南水郷を眺めました。秋の大地は金黄色と緑色の絨毯が敷きつめられ、池に白雲の姿が映っています。2時間半後、安徽省の宿州東駅に着くと、大会ボランティアの大学生2人が待っていました。インドネシア、台湾の参加者と合流し、更にバスで2時間半かけ、20時30分にやっと会場がある亳州に入りました。この日は朝5時に出発したので疲れましたが、世界中連連絡部の手配で飛行機と高鉄のチケットはすべてスムーズに入手できてよかったです。

翌9月9日、大会が行われました。会場となる亳州は、中医学歴史の中で有名な医者である華佗(かだ)と、「三国誌」に登場する曹操の故郷でもあります。地理的に恵まれた環境で中薬も豊富に採れ、昔から有名な中薬市場として知られ、この数年の発展によって中国の中薬のトップ市場となっています。

今回は日本・アメリカ・タイ・インドネシア・ドイツ・イラン・イタリアなど25か国の代表者が招待され出席しました。主催側の中国商務部の代表が中医薬の現状を紹介し、中医薬は183の国と地域に伝わり、中国以外の中医薬医療機構は8万ヶ所、従業者は30万人に達成しているけれども、国際貿易はまだ初期の段階と述べていました。中医薬の領域における国際協力の必要性について、参加者の認識は一致しました。

9月10日は「華祖庵」「中華薬都」を見学しました。華佗は漢の時代の名医で、中医各科に通じ、特に外科が得意で、外科手術、麻酔薬、鍼灸、体操の五禽戯などを発明し、民衆から「神医」と呼ばれていました。今年は華佗の生誕1890周年となり、彼の故居である「華祖庵」で盛大な記念行事を行いました。

亳州は、3,700年の歴史がある場所です。唐の時代から中薬材料の集散地として「中華薬都」と称され、中国四大中薬市場の一つですが、ここ数年の発展はめざましく、中国最大級の中薬市場として栄えるようになりました。また「貢酒」という酒の名産地としても知られ、市場を見学しました。朝の混雑する時間帯を過ぎていたので、広い市場は落ち着いている雰囲気でした。時間があまりなかったので、まさに「走馬観花」(駆け足で見て回る)でした。

今回大会に出席し、特に中薬の栽培、販売、管理などは、急速に進歩しながら中国から世界へ発信していると感じました。特に中薬の栽培における農薬・重金属汚染などの問題は、中央政府から業者まで重視しており、さまざまな措置を行い、中薬の品質を高め、市場により良い商品を提供できるようになってきています。亳州は「中華薬都」から「世界薬都」へと進んでいっているようです。