九層之台起於累土、千里之行始於足下~日本での中医薬教育の心得~ ②

 学校がスタートした当初から中国の大学の教科書、北京中医薬大学に在学していた時のノートを参考にし、教科書作成に力を入れました。 2006年以来、『実用中医学』『実用中医薬膳学』『薬膳の基本』などの教科書が次々と正式出版の運びとなりました。 参考書として『薬膳素材辞典』『一語でわかる中医用語辞典』なども出版しました。 昨年から、研究科の教材と問題集を続々と完成させ、研究科の通信教育も始まりました。

 教育の内容としては、理論と実践を併用するカリキュラムをつくりました。 講義・実習・宿題・試験の通学教育とスクーリングを設置した通信教育、基・床(内科・外科・婦人科・小児科)・経典・中薬・方剤などの研究科教育、お菓子・中国料理・イタリア料理などの応用研究科と各短期講座を作りました。

 講師は日本に留学し、日本語が堪能な中国の中医薬大学を卒業した中医師、日本の先生それに本校の優秀な卒業生が担当し、学校の教育レベルを保証しています。

 開校当初は、固定した教室を持たず、転々と教室を借りて授業を行っていました。 しかし、今は、東京校は交通の便利な場所に定まった教室を持ち、実習ができる設備を備え、教育を行っています。 昨年4月に、福岡教室・大阪教室も開講しました。 今年の秋に札幌教室も開講する予定です。 徐々に日本の大都会に教室を開く計画を立てています。 2009年から認定教室制度を導入し、東京・神奈川県・愛知県で14箇所の教室を認定しています。本草東京校   キッチン

 開校以来、中国国家中医薬管理局に属する第一級学会である中国薬膳研究会(北京)と友好関係を持ち、「国際薬膳師」「国際薬膳調理師」の育成を行い、世界中医薬学会連合会(本部北京)に入会し「国際中医師」も育てています。

 時の流れは「白駒過隙」のようにあっという間に14年が経ちました。 開校当初2人だった学生は、2016年4月までの入学者数は1,536名に達しました。 国際薬膳師(士)、国際薬膳調理師の人数は765名(発行元・中国薬膳研究会)、国際中医師の人数は59名(発行元・世界中医薬学会連合会)です。 卒業した学生は薬膳教室を開いて講師になったり、薬膳の店をオープンしてオーナになったり、あるいはカルチャセンターの中医学・薬膳学の講師になるなどして活躍しており、何より嬉しく思っています。

 大勢の卒業生が「国際薬膳師会」に参加する以外に、いろいろな薬膳に関わる団体に参加し、各地で薬膳の普及に力を尽くしています。

 

続きは次回。

九層之台起於累土、千里之行始於足下~日本での中医薬教育の心得~ ① 

 2001年11月、「薬膳学院」の設立準備が始まりました。

 「安身之本必資于食(安穏で健康的な人生の根本は食にある)」は孫思邈の言葉ですが、中医学の根本は食にあると新たに認識しました。 日本で中医学を普及させるためには、日常生活に欠かせない飲食から始めるのが一番適切だと考えました。 この学問には多くの食材・中薬が使われているため、学校の名前を明の李時珍の《本草綱目》の「本草」に因んで「本草薬膳学院」と名付けました。

 伝統医学が注目され始めた90年代の末、健康志向の向上につれ、中医薬膳学は再び流行ってきました。 多くの人々が
自分の健康を自分で管理するために中医学・薬膳学を勉強するようになりました。 しかし、本格的に中医薬膳学を教えるところが少ない状況だったので、薬膳学院を設立しようと思いました。 また、中医学の土壌のない日本では、いきなり中医学を勉強することは難しく、その入り本草東京校   ビル外観口は薬膳学にあると思い、本草薬膳学院を発足させました。

 学校として最も重要なことは教育レベルです。 臨床で十数年の医師経歴がある私は、北京中医薬大学の教育を忘れられません。 教壇に立つ高名な先生方が教える奥深い中医学知識は、18歳の私には理解できない内容ばかりでした。 しかし試験のために先ず丸暗記しました。 この暗記した知識は今の私にとっても役に立ち、先生方が示してくださった「教人不侮」の精神は鏡になっています。 わが本草薬膳学院は小さい学校であるといえども高レベル教育を求める責任がある、という信念を持っています。

 

続きは次回。

北京中医薬大学校友座談会

 IT産業の発達により、距離感がなくなった感じがしませんか? どんなに遠くても携帯電話を通じて話せるし、相手が見えます。 特に今回のことです。

 去る5月27日に北京市政府が「第一回海外華僑華人中医薬大会」を開催することになりました。 連絡・審査・通知の全ては携帯電話の「微信」(Wechat)*で行っています。 *LINEのようなもの。 

 出発するちょっと前に、ロンドン在住の名前を知らない後輩から”5月27日の午後、大学側から「北京中医薬大学海外校友座談会」を開きたい、出席をお願いします” という連絡が入りました。 飛行機は13時頃北京に着くので、遅れて出席することにしました。

 予想通り、30分間ほど遅刻して会場に入りました。
 大学側から呉建偉書記、靳琦副書記、国際交流与合作処張立平処長、校友会の王明来副会長兼秘書長、閻興麗副秘書長と何人かの職員が参加し、イギリス・ドイツ・スペイン・イタリア・スイス・スウェーデン・アメリカ・日本・南アフリカから13名が出席しました。IMG_6561

 校友会の王明来副会長は、卒業生が海外で中医薬を広げるために努力したこと、母校の学術と文化を伝播したことに対し、感謝の意を述べました。

 呉建偉書記は、”卒業生は学校の名刺で、母校の仕事の延長線”だと仰いました。 卒業生が取得した成績と成果はすべて母校の誇りです。 ”大学はいつまでも卒業生の強靱な後ろ盾となり、卒業生を支援する”という話でした。

 また、近年来の大学の教育改革・学科発展・国際交流などについて紹介がありました。 今年、大学は60周年なので、海外の卒業生に呼び掛け、母校に戻って一緒にお祝いし、母校が世界一流の大学になるように努力するよう奨励されました。

 張立平処長は大学の国際化の成果とこれからの戦略を紹介なさいました。 卒業生の私たちは、母校の目覚ましい成果に誇りを感じ、母校との交流、連絡を望むことを述べました。

 夜、靳琦副書記らが「叙旧・溝通・合作・共贏」の今日のテーマ、”共に北京中医薬大学の精神、最新情報の交流、母校と卒業生の共同課題、母校と共に海外発展”という話題と成果を引き続き中医薬の事業に遂げるよう願い、私たちを招待して美味しい中華料理をふるまってくださいました。

 この日出席した海外の卒業生には、70年代、80年代、90年代の卒業生がいました。 みんなそれぞれの国で診療所を持ちながら大学で中医薬を教えています。 病院を経営し有名な中医師となっています。 所在国の大学病院に勤めています。 また薬局、学校、会社に務めるか、経営しています。 みんな生活が安定し、地元で有名な方となっているそうです。IMG_0045

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